悪口

フリクリ オルタナのこと書いたんで、フリクリ プログレのこと書かないのもなんかなと思うんですよ。

だけど正直言うとあんまり面白く無かったので、書かない方がいいかとも思ったのですが、まぁ書きたいので書きます。

直前にフリクリを見て、かつフリクリプログレが、フリクリ オルタナと違ってわりと真っ当にフリクリを塗り直そうとしているのが見えただけに、前のフリクリを超えられてないなと感じてげんなりする部分が多かったように思います。

オルタナの時は前のフリクリ見ないで行きましたが、やはりプログレもより前作の要素が濃いとはいえ、前作を見ないで行った方が楽しめたかもしれません。

前のフリクリはあの頃のガイナックス作品を作ってきたアニメーターが、あの頃の気の抜けたかっこよさを身体で理解していたからこそ作れた作品であって、現代でやるからには現代のアニメーターが一番培ってきた表現で現代のかっこよさを体現したフリクリをやってみることでしか勝負出来る作品にならなかったろうと思うんです。

その点オルタナは前フリクリのセンスに基本的に及んでいないけれども、四人組女子高生の青春物語としてまぁ、固有の面白さがあったように思います。

プログレは、キャラクターや各話に盛り込まれた白黒の世界はかなり良くできていて、プロモーションでもとてもかっこよかったので、あの世界観を期待して見に行ったのですが、あの世界観は夢オチにしかなってませんで、基本線ではティーンの恋心に乗っけた意味の取れないおかしなシーンの連続、ぶっ飛んだアクション、謎の設定、おちょくっていくバイオレンスギャグ、等々前フリクリの土俵で戦おうとしてますが正直失敗していると思います。

作中でも言ってましたが、自分の武器で戦えってことですね、自分の武器でしか勝負にならないでしょう。

 

塗り直しの失敗としては、例えば、前フリクリで行われるコミュニケーションって言葉数少なく無言のうちにキャラ同士の関係性が見えてきていたと思うのですが、プログレでは言葉数の少なさは踏襲してますが気持ちははっきり言いますし、無言のコミュニケーションがないのでただただ薄く好きだ嫌いだが話されているようにしか感じられません。

また前作はメチャクチャなシーンの連続でも案外感情の流れはぶった切らず丁寧にかけているように思いましたが、今作は感情の流れもぶった切ってきてますね。

やっぱり押さえるべきところってもんはあるんじゃないでしょうか。

先ほども言いましたが、白黒の夢の世界観はとてもいいですし、主人公の女の子もめちゃかっわいい↑ですし、案外主人公の男の子もかっこいいですし、前作と違って声優も洗練されてますよ。

最近のアニメらしく声も含めてキャラクターはものすごく魅力的です。

ですがそれだけで2時間強乗り切れはしないでしょう。

ピロウズのmvとしても肝心の作画や、戦闘シーンがイマイチ作り込めていないので曲に押し負けてますね。

全てでは無かったですが、かっこいい曲だけが空々しく響くシーンが多かったです。

断片的にオッと思うシーンがあっても全編見た感想として楽しくないのは一話ごとに監督が違うことも関係あるんでしょうかね。

 

基本的に映画の悪口言ってる奴はその映画の良さがわからない可哀想な奴だと思ってますし、この映画に関しては良さがよくわからなかったかわいそうな奴ですよ私は。ご勘弁ください。

何か面白い見方、見所があればご紹介くださいませ。

犯罪者との共通点

 先程テレビ大阪制作の番組で犯罪をして刑務所から出所した人を受け入れる社長の話がやっていました。

 番組に出てきた青年は、社長にはげまされ、まともになれる環境を作られても、何度も犯罪を繰り返し、やる気はあってももとの暮らしに戻ってしまい、自分のコントロールが出来ないようでした。

 私も今、辞めたいと思うことを辞められないことでとても追い詰められています。

 どうにか食べ過ぎることと、学校をサボることを辞めないと、私の身体と社会生活が成り立たないところまで来てしまいました。

 しかし、せっかく周りの人に環境を整えてもらっても、自分のコントロールが出来ないので、それに応えることが出来ません。

 私は犯罪はした事がありませんが、自分をコントロール出来ない点、コントロール出来ないせいで人の期待を裏切って、迷惑をかけている点、そのせいで将来にも暗い見通ししかない点は同じです。

 テレビに映っていた青年と、私に必要なのはどうすれば、自分の今までの生活とは違う方向へ自分の行動をコントロール出来るか、その技術だと思います。

 それを是非知りたいのです。

 もしそのような技術があるのなら、道を外れた全ての人に必要だと思います。

 その技術とはなんなんでしょうか?

 教えて下さい。

 一番必要なその知識を今まで誰も教えてくれませんでした。

 私は今まで読まなかった自己啓発本を読み始めています。

 そこに答えがあるのでしょうか。

 あって欲しいと思います。

 

音楽がタダで聴ける時代を嘆くミュージシャンがいるけれど。

私細々と音楽活動をしておりまして、

ま、youtubeやなんかで流しているだけでロクな再生数もありませんしね、ちっとも有名になる兆しなんてありませんけども、私だって曲作って歌ってます。

そういう意味で私もひとりのミュージシャンだっていう気持ちがあります。

少し前に大物ミュージシャンが

「インターネットの時代になって、CDが売れなくなりました、音楽がタダで動画サイトに流されて金を払われない時代になりました、金が払われなければ良いものが出来ないので困っちゃいますね。」

と答えるインタビューの記事を見たけれど、インターネットのない時代には私のような無名の人間はお金払ってライブハウスでライブをしたって、だぁれも見に来てもらえなかったでしょう。

しかし、今はそれこそyoutubeに流せば、タダで何処かの誰かが私の曲を聞いてくれるんですよ。

私のような無名のミュージシャンにとっては活動してて楽しい、良い時代だと思います。

親以外にも理解してくれる人はいるかもしれないと気付く。

 また少し、マザコンじみた気持ち悪い話になるかと思います。

 ご容赦ください。

 

 ひとり親だったせいか、同居していたころから、同居しなくなっても悩みのほぼ全てを母親に相談してきました。

 母親の回答のほとんどが、シングルマザーである苦境に鍛えられてきたのか、やると決めたらやれる、私はそうしてきた。

 という、マッチョなもので、やると決めても失敗する私には参考にならない場合がほとんどでした。

 それに私はそもそも悩みの解決策ではなく、母親の共感や理解を求めていたのです。

 しかし母親は参考にならない解決策を提示するばかり、私はそれがわかっていながらなお、共感や理解をもとめるので、必ずと言っていいほどケンカになりました。

 我ながら気持ち悪い事をしていましたが、今振り返ると、母親がいうように解決策は当事者である自分で見つける方が効率的ですし、結局自分で解決するしかないことがほとんどです。

 また共感や理解は人それぞれ経験に違いがあるので、悩みの種類によって、理解できる人、出来ない人がいます。

 母親は私の悩みの多くを理解出来ない人間でした。

 これに気づいていながら、ずっと認めることが出来ませんでした。

 認めてしまえば、唯一の相談相手から理解されず、この世で一人っきり悩みを抱えることになってしまうと、無意識に思っていたからでしょう。

 母親しか理解してくれる可能性のある人がいないという思い込みから、上手くいく見込みのない相談を続け、母親の無理解をなじり、無益なケンカを繰り返していた私にこう言ってあげたい。

 お前は一人きりで悩みを抱えても、悩み抜き、解決できるほど強い人間だし、この世にはものすごく沢山の人がいて、お前と同じことを悩み、理解し合える人もいるんだ。心配しなくていいよ。

 

…カッコつけてみました。

フリクリとフリクリ オルタナ

 前作フリクリを見返した上でネットサーフィンして感想を漁りました。

 その上でオルタナと比較してみようと思います。

 自分の初期の感想からどんどん離れていって私が書く意味はなくなって来ましたが…。

 

 他人の記事を貼っつけるマナーがわからんのでその辺ご容赦下さい。

 ま、あんまりみてる人いないから大丈夫かな。

 

引用1

無事の記 様

http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/touch/20060613/p2

 だいぶ古い記事だけど、文章がキレキレです。

 性欲を軸にバッサリとフリクリを切ってます。ちょー切れ味いいです。

 ナオタのムラムラとそれを利用するまみみとハル子の関係が物語を進めていく論ですね。

 ナオタなんで利用されてんの?と思ってましたが、私はナオタの、男の性欲の暴力性に無自覚でしたし、これだけわかりやすく描かれていたのにナオタの行動の動機がはっきりとわかってなかったわけなので…。

 まぁそれというのも私がまみみにもハル子にも全然ムラムラしなかったからかもしれませんが…。

 ニナモリにはムラムラします。

 

そんなことはどーでもいいんですが、この性欲という観点からオルタナを考えると、ハル子には相変わらず色気によるコミュニケーション手段が最大の武器であり、女子高生とハル子とは周囲の男を通じてしかまともに接点をもてないのが浮き彫りですね。

 オルタナのハル子がイマイチ周縁的な役割しかもてていないのもこれが理由でしょうね。

 

次に

フリクリ オルタナで検索するとすぐにでてくるこちら

http://samepa.hatenablog.com/entry/2018/09/08/212456

シン 冷めたパスタとぬるいコーラさん。

名前も記事も長いね。

 私はフリクリファンでもないし、あんまり作品そのもの以外には興味ないので、オッと思った点だけ抜きます。

 

 まず、榎戸さんのあとがきとからめてでてくる大人が自由の象徴であるという観点。

 前フリクリの大人/子供のイメージを簡単にまとめると

 子供は町や、親や、学校なんかの他者に縛られているが、大人はハル子ならアトムスク、キモ親父のカモンならミニコミ誌のように好き勝手なものを追求出来る。

 という対比になっているかなってこと。

 オルタナ、では大人になることは仕事と結び付けられていて、けして自由へと繋がっていない。

 むしろ子供でいることが、愛する人のいる町や自由や友情と繋がって、肯定的に捉えられていますね。

 

 そこで二点目、この大人/子ども観に関連して、

 すごいことなんてない、当たり前のことしか起こらない、変わらないような毎日が続くけれど、その間にも季節は変わって行く。という、趣旨のセリフの捉え方が違ってくること。

 もうすでに引用どうでもよくて私の邪推たっぷりなんですが、前フリクリでは子供に属する主人公のナオタに対して、憧れの対象、自由の象徴としてのハル子が大人に属しているためにこのセリフは、日常の先に、ハル子のいる、自由な大人の世界が待っている事を示しているので、ラストシーンでは爽やかな未来を匂わせます。

 しかし、オルタナでは子供の世界こそが、自由であり、愛や友情をもたらすものである上に、ハル子も含めかっこいい大人像は誰も示していないので、このセリフは今わたしたちが一緒にいる、この当たり前の素晴らしい日々もいつか終わって、お別れなんだね。という意味になってます。

 ですからラストシーンのこのセリフからは未来を否定する気持ち悪さを感じますね。

 この気持ち悪さが好物ならいいもの見たなぁって思えるでしょう。

 

 あとはテンポとか絵とか画面の作りとか戦闘シーンとか全然違うし、ふざけまくってる分そこは前作フリクリのが楽しいんですが、どこがどう違うと上手く言えないので、言える人、もしくは言えてる記事とか、あとなんか感想や、お前間違ってんぞとかあれば、教えて下さいな。

 以上です。バイバイ。

フリクリ みた 2

三話

 ニナモリ回。

 伊達よ。

 イカすなぁ。

 

 あんまり考えることなくなって来た。

 単純に面白い。

 ストーリーとかよくわかんなくてもその場その場の勢い、画面、テンポ、セリフだけで十二分に面白い。

 前はわかんなかったな。

 というか、話の脈絡とかストーリーとか気に楽しみ方する作品じゃないんだな。

 ギャグとかアクションとかと同じ楽しみ方してるかな。今んとこ。

 こっちのフリクリと同じ見方してると"オルタナ"がつまんないって評価も大いに頷けるな。

 シーンシーンの面白さはケタ違い。

 まぁストーリー的にキャラが次第に好きになるとか、切なさとかそんなんはこっちにはないけど。

 

四話

 野球回。

 関係ないけどサムライチャンプルーの野球回も面白かったことを思い出した。

 この回も印象深いがやはりよくわからん。

 ナオタが男になって街を出て行くってことなんかしら?

 バット振って出たった男に捨てられちまったまみみとしては寂しいのかね。

 一応ナオタの成長物語になっているのかな。

 

五話

 相変わらずアクションがイイ。

 本質的に誰からも見向きされていないナオタ。

 そもそも町から出たかったんだな。

 いや。出たいけど、出れないってことも書いてんのかな。

 

六話

 女どもの気持ち悪さ全開。

 こんなのにしか甘えられないナオタを見てて辛い。が、本人はそれでいいんだね。

 

 終わった。

 

 んーただただしっちゃかめっちゃかしてるだけの印象だったけど、思ったよりストーリーが出来てたな。

 

ネットサーフィンして感想漁ってたらよく出来た批評が見つかったので別でまとめてオルタナと比較してみますよ。

とりあえず、バイバイ。

フリクリ みた

 前の文章でフリクリ オルタナの感想を述べました。

 私は前作の内容を踏まえずに書き散らかしましたが、次作の感想を述べるのにやはり前作見ないと片手落ちの感がありましたよね。当然。

 ですから前作フリクリ見ましたよってに感想述べます。というか、見ながら書くよ。

  引っ越してからツタヤが遠いので動画配信サービスに頼ろうと思ったが、非定額は最近流行りでないのかどのサービスを利用していいのかわかりずらい。

 結局エロ動画でお世話になっているdmmでレンタル。ファンザってなんだよ。

 

 まず、一話。

 2000年代初頭の作品ということで、作画の線がはっきりしてて色合いも薄めなので今からするとアニメの絵、というより全編イラストという感じしますね。

 六話になると色も濃くなってきてアニメの絵って感じしてきますので、全編通して色合いを意識しているというわけでもないのかな。

 ピロウズの曲もリバーブボワボワですし、テンポもギャグも90年代のノリを感じますね。

 ハル子も漫画っぽい線で描かれていて性格としては男から見てちょっと神秘的?な1990年代終わりから2000年代初頭のキャラの代表のような造形してますね。

 つか、ブーム作った人が作ったキャラだから当然か。

 ネットで"オルタナ"の感想を見るとハル子の感じが違うじゃんという話をしてる人がちょいちょいいましたが、作画もキャラの性格もこの年代特有のバックボーンをひしひしと感じるので今蘇らせてもハル子の感じが再現できないのは当然っちゃ当然かなって気もしますね。

 あまり意識してませんでしたが"オルタナ"の方もハル子だけあからさまにキャラデザ違いますね。

 まーやっぱり"オルタナ"作ってる人もあの年代特有のキャラクターであって完璧に再現出来ないことは意識してたんでしょうか。

  時代だけではなく、ハル子のぶっ飛び感もナオタが突っ込まれ役で年下の男の子をからかう女として振る舞えるから出てきてるんで、今風アニメの女子高生を相手役にした時点でいまいち本気出さなくても仕方なかったかもしれませんね。

 

 …敵キャラがエヴァの造形なのは伝統だったみたいですね。

 やっぱりおセンチなシーンもエヴァっぽいかな。やっぱりこのころのガイナックスの血が流れてるんでしょうか。

 "オルタナ"を見るとやっぱりデジタル作画になって、京アニ系アニメが流行って、とか?まぁアニメの歴史は全く詳しくないのですが、やはり隔世の感がありますな。

 

 二話

 ハイブリッドレインボウ来た。思ったよりずっと早かったな!もうクライマックスかよ。

 私のフリクリの印象ってこのシーンによって形作られているといっても過言ではない。皆さんもそうでしょう?

 意味わかんないけど最高にさせられてしまう。つーかストーリー的にはなんの意味もないよね?

 こんなシーンは"オルタナ"にはなかったし、こんな意味不明だけど最高のシーン普通の脳みそじゃ作れないよ。

 メカ戦も半端ない格好良さである。最近アニメ見てないけどこんなん作れるやつ現存してんのかね?

 やはりストーリー的には意味がわからない笑

 いつのまにか心理的葛藤はぶっ飛んでいる。あんまりつながりを描く気がない。

 こういうところ"オルタナ"とは設計思想が違うような気がしてならない。

 ストーリーなんて糞J-POPほどにしか気にしてなくてアニメーションとして最高なものが作りたかったとしか思えない。

 

続きはまた明日。