賢い僕、さよなら。

中学生の頃、周りの人は何一つ悩みなどなく、楽しそうに生きているように見え、僕はといえば、悩みばかりで人生が苦しく日々死にたいと思っており、何故か悩みのある事が賢いことの証であり、バカになれたら人生楽だろうなぁ、と思っていました。

考えて考えて考え抜いて生きるのが人間らしいことだと思っていました。

たしかに考えて考え抜いた結果として、すべきでないことや、不愉快な未来は沢山考えつきました。

他人に迷惑をかけるべきでない、環境を汚さないように、無駄を出すべきでない、人を不快にさせないように驕ったりすべきでない、やりたくもない無駄な事をやるべきでない、こんな出来損ないは子供を作るべきでない、上手くいかないなら何もやるべきでない。

考えに考えて考え抜いた結果僕の人生はクソです。

やりたい仕事はない。この先何十年とやりたくもないことに人生の大半を費やしてろくな事も為せず死ぬのだ。目先の事を思ってもやりたくもないアルバイトをし会いたくもない人に会い、嫌われる事に怯え、行きたくもないところに行く事を思うと怖気が走って家から出られません。

最低限生きるのに精一杯で、何か他人に対して残せるものなどありません。

作ったものは誰にも見向きもされない汚いもので、誰からも好かれず、好きな人と一緒にいられる自由もなく、たぶん病気になって、ひとり苦しんで死んで行きます。

環境への負荷を考えれば一刻も早く死んだ方がいいでしょう。

 

なので、考えるのをしばらくやめようと思っています。

中学生の頃の僕は馬鹿になったと言うでしょうが、考えれば考えるほど僕の人生はどん詰まりです。

だからやめます。

実際に考えるのを辞めてみるとすこぶる楽です。

自分の未来も考えない。人の気持ちも考えない。やりたくないとか、やりたいとか考えない。出来たらラッキー、出来なくても考えない。恥ずかしいとか、嫌われたかもとか考えない。寂しいとか虚しいとか考えない。金がないとか、考えない。地球環境がどうとか、政府がどうとか考えない。誰かが結婚したけど、僕は出来ないんだ、人ともろくに話せない出来損ないだとか、考えない。

楽です。

確かに馬鹿になったんだと思いますが、賢い自分のままではこの世でやるべきことはバカバカしすぎてとてもじゃないですが、やれません。

馬鹿になってしまえばやるべきならやる、そうでないならやらなければいい。

出来なくても考えない。出来たらラッキー。

無駄な力が抜けて、空が綺麗だなーとか、眠いなーとかちっぽけなことが心地よくて、幸せです。

ただ生きるだけで幸せだってのはこんな気分なんでしょう。

もう無理だと思っていましたが、馬鹿になればまだまだ生きていけるような気がします。

賢い僕は恥や、規則や、過去や、プライドと共に死んでいかざるを得ません。

賢い僕よ、お世話になりました。

疲れましたね。ちょっと休んでください。