生きる意味ってのは死ぬ選択が取れない以上生き続けなければならないので考えても仕方ないのじゃないかという結論に達しました。
ではどう生きるかを考えなくてはなりませんね。
なんとなくでも考えないとどう生きていいかわかりません。
相変わらず神は信じていないので絶対的にどう生きたらいいかという指針はありません。
他人も参考にはしますが、絶対的には信じていないので絶対的な何かが他人、他者から与えられることはないですね。
なので自分のやりたいことは自分の経験から見つけるしかないでしょう。
経験といっても本や話から見聞きした事も含みますが。
しかし神に与えられたわけではないのでやりたいことも永遠に続くわけでも絶対的に価値があるわけでもありません。
むしろ楽しいからやる、なんとなく楽そうだからやる、といったような不安定な理由しか見つけられないでしょう。
しかし、それでもやりたいことはやりたいことです。それを目標にしましょう。
さて、ここからが今悩んでる事なんですが、
そのようなふらふらした理由で、目標を決めても、楽しいことだけ、自然とやりたいことだけやって生きていけるわけでもありません。
目標を叶えるためにやるべきことは仕事や勉強などをはじめかなり面倒で、面倒を乗り越えられるやる気はふらふらした目標からは湧いてきません。
だからといって生きている限り何もしない事は出来ませんね。
出来ませんかね?出来ませんよね。家とか金とか必要ですし、私は四年ぐらいほぼニートしましたが、何もなさずに死んでゆく事に耐えられませんでした。
何かしないといけないならば、ぼやっとしていても、面倒を乗り越えないといけなくても、やりたいことをしたいです。
が、ぼやっとしかやりたくないので少し面倒だとすぐにやめたくなります。
なので面倒だとか、疲れたとかの思考を放棄する事にしました。以上です。