はじめてコンビニで働く人へ

私がコンビニで働きはじめた頃の話です。

弁当を温めろと言われて温めました。

しかしチンする時間を間違えて、コンビニの1500ワットのレンジで、500ワット用の三倍の時間の表記を見てチンしたら容器もぐにゃぐにゃになってしまいました。

ですがそもそもチンをした時間の間違いに気づかず、表記通りにやったのになぜこうなったのかと思い、ぐにゃぐにゃになった弁当箱を見てこれで合ってんのか?と面白くて、にやにやしつつどうしたらいいでしょう?wwみたいな態度でいたら客に怒られました。

まぁ今だったら当然こんなミス自体しませんし、ミスしたとしてもなにが間違えだったか気づかないわけもないし、すぐに謝って取り替えますよ。

 

さて、コンビニ店員をやったことのない人はわからないと思いますが、はじめてコンビニで働くとほぼ確実にミスします。

こんなアホみたいなミスはしないかもしれませんけども、なんらかのミスは起こります。

で、はじめのうちはミスした時に、ささっと謝ってレジの処理をする事が出来ません。

謝り方もわからず、処理もできずに戸惑っていると、くだらない説教を食らう場合があります。

なんだその態度は?とか、あなたそんなんじゃ社会人としてやっていけないよ?とか言われるかもしれません。

しかしはっきりいいますが、あなたのせいではありません。

説教のかわし方と、高速でミスを処理する技を研修してくれるコンビニなんていままで三軒のコンビニで四年くらいは働きましたがありませんでした。

この技は何回もミスして、何回か説教を食らううちに勝手に身につくものです。

あなたに接客が向いてないとか、当然の常識がないとかではありません。

単に慣れです。

研修中の店員に説教する客は、どこかで店員をやった経験がないのでこのことがわからないと思っていいです。

はじめは絶対にやってしまうミスに、うっとおしい客が重なると発動するトラップですから気にしない方がいいです。

一定確率で発生するので、あなたの能力や性格とは関係ありません。

あなたは悪くありません。気にせず店員を続けてください。

また金稼ぎのアルバイトに過ぎないので面倒だったらささっとやめてもなんら問題ありません。

以上です。

最近の〇〇がつまらないのではないのではないか。

一人暮らしを始めて、時間の余裕ができてから過去の名作アニメを見だしました。

夜な夜なレンタル屋に通いました。

見るアニメ見るアニメが最高で、アニメってなんて面白いのだろうと思いました。

ある程度過去の有名作品を見てからは、リアルタイムで放映中のアニメを見るようになりました。

なのですが、なかなか凄いと跳ね回るような作品に当たらない。

アニメってこんなもんなんだったっけ?

なるほどそうか。過去のアニメは面白いが、最近のアニメがつまらないんだなと思うようになりました。

そして同じように最近のアニメをつまらないと思い、理由を考察する人サイトを見ては、作画にかけられる人数が減った、萌えばかり追い求めて良いストーリー書ける奴が減った、などの感想を見てはそうだよなぁとか思いつつ、最近の〇〇はつまらんとか言い出して俺もいよいよ年をとったなと思っていたのですが、どうもそうではなく単純に名作級の作品はいつの時代も希少だというだけのような気がしてきました。

はじめに過去の名作群を見てしまったのでハードル上げすぎただけだったのではと。

レンタル屋に並ぶようなアニメ以外にも沢山のアニメがあってその中から沢山の人が何回も見るようなものがレンタル屋に置かれているはずなのでアタリが多めなのは当然かもしれません。

さらにそのなかから自分の好みに近そうな作品を選べばアニメは全て面白いと思い込む私のような人間が生まれるのかも。

 

この世の中に膨大な数の作品はあるけれど、案外名作と呼ばれるような作品って少なくて、さらに自分の感性に合うような作品ってまたさらに少ないのでしょう。

リアルタイムで生まれてくる無選別の沢山の作品の中から好みに合う素晴らしい作品と出会うのはなかなかに難しいって事なんでしょうね。

私のような面倒くさがりは、もう10年してからレンタル屋に探しに行くのがいいかもしれません。

生きる意味は考えるのやめた。どう生きるか。

生きる意味ってのは死ぬ選択が取れない以上生き続けなければならないので考えても仕方ないのじゃないかという結論に達しました。

 

ではどう生きるかを考えなくてはなりませんね。

なんとなくでも考えないとどう生きていいかわかりません。

 

相変わらず神は信じていないので絶対的にどう生きたらいいかという指針はありません。

他人も参考にはしますが、絶対的には信じていないので絶対的な何かが他人、他者から与えられることはないですね。

なので自分のやりたいことは自分の経験から見つけるしかないでしょう。

経験といっても本や話から見聞きした事も含みますが。

 

しかし神に与えられたわけではないのでやりたいことも永遠に続くわけでも絶対的に価値があるわけでもありません。

むしろ楽しいからやる、なんとなく楽そうだからやる、といったような不安定な理由しか見つけられないでしょう。

しかし、それでもやりたいことはやりたいことです。それを目標にしましょう。

 

さて、ここからが今悩んでる事なんですが、

そのようなふらふらした理由で、目標を決めても、楽しいことだけ、自然とやりたいことだけやって生きていけるわけでもありません。

目標を叶えるためにやるべきことは仕事や勉強などをはじめかなり面倒で、面倒を乗り越えられるやる気はふらふらした目標からは湧いてきません。

 

だからといって生きている限り何もしない事は出来ませんね。

出来ませんかね?出来ませんよね。家とか金とか必要ですし、私は四年ぐらいほぼニートしましたが、何もなさずに死んでゆく事に耐えられませんでした。

何かしないといけないならば、ぼやっとしていても、面倒を乗り越えないといけなくても、やりたいことをしたいです。

が、ぼやっとしかやりたくないので少し面倒だとすぐにやめたくなります。

なので面倒だとか、疲れたとかの思考を放棄する事にしました。以上です。

変化

誰かが常に一緒にいてくれる、とか自分のことを完璧に理解してくれる人がいるとか、金の心配がないとか、金に左右されない人間関係があるとか、常に行きたいとこに行けて、住みたいところに住めるとか、誰かから尊敬され続けているとか、諸々の欲望が叶っていないことに目を向けると吐き気がしてくるので、あまり意識に登らせないようにして、無心でやるべきことをこなすのが楽だと思うようになりました。

 

それと、他人の気持ちも考え過ぎていたので自分にできることをやったらあとは無視するのが楽だと思うようになりました。堕落しましたが、楽です

生きる意味

生きる意味って考えてみたんですが、神様も信じてませんし、他人が与えてくれるわけでもなかったので、自分自身が自分自身に与えるしかないと思ったんです。

 

自分自身で自分の人生の意味を与えようと思うと、自分の経験から引き出してくるしかないと思うのですが、自分のやって来たことにも大した価値を感じなかったし、これからやりたいことはあるにしろ、それが出来たとしても、いずれ自分が死に、太陽が爆発したり宇宙からエネルギーがなくなったりして生き物が消えれば誰かが見るという事も無いわけで、絶対的な生きる意味というものは見出せませんでした。

 

絶対的な意味はないにしろ、もっと弱めの意味ならあるはずです。

家族が死んだら悲しむからとか、楽しいことが自分にまっているから、とか、何か残せるはずだから、とか。

 

ですが、絶対ではないにしろ死んだ方がいいと思う理由もあります。

今の日本だと人間が生きてるだけで環境も汚すし、何かの命を食べて生きているから地球環境にとっては自分は死んだ方がいいし、他人から見れば何か生み出したわけでもなし、注目もされない。

自分自身も自信もなしあまり生きていて何かなせるとも思えませんし、そのうえいきるためだけにやりたくもない仕事や勉強して生きてきて、これからもこんな人生が続いていくわけです。

絶対的でなくていいなら死ぬ意味もありますね。

 

しかし怖くて死ねませんので死ぬ意味は考えても仕方ないわけです。

だとしたら生きることも選択して生きているわけではないので生きる意味があろうがなかろうが生きていくんじゃないですか!

 

あー話のそもそもの意義がわからなくなりました。終わります。

変わりたくないけど変わらないとマズイのでどうしよう

マズイんですよ。

で、人生うまく行かないで困ってる時には行動を変えないといけないんでしょう。

それはわかってます。今までの行動を続けたって上手く行かないことは経験済みですよ。

だけど今までの性格や行動はそう簡単に変えられないんです。

変化する事を恐れないで、とか言われてもね、違う言い方すると、今までの自分を捨てるけど気にしないでねって、ことじゃないですか?

そんなに簡単に捨てられます?

長いこと上手く行かなくても嫌いながらも愛そうとして来た自分ですよ?

つまるところ今の自分殺すってことじゃないですか。無理です。

だからこうしましょう。

今の自分のままで、性格も行動もほんとうの自分は変えないでよし!

嫌いなこととか嫌なこととか、無理やり好きになろうとしないでよし!

中身は同じなまんまでオッケー!

そして、スペシャルな俳優になりきるんです!

なりきって、嫌いなことでも今までの自分だったらやらないことでもなんでもバシィっとなんでもこなしてしまえばいいんですよ!

これだったら変わる必要ありませんぜ!

やった!

あなたも私も嫌いなことでもなんでもスマイルでこなすグレートな役者です。

スーパースターだ!なんだってできる!

よし!これでいきましょう!

よろしくです!

 

追記

翌日演技しようとしてみた感想

嫌いなアルバイトだったので演技して上手くやろうとしてみました。

すると本来の自分の意識を保ったままだと演技に集中できないんですね。

よって本来の自分の意識は手放して演技に集中することになりました。

結果的にぼーっとするのに近い状態になりました。

つまり本来の自分は変わっていませんが手放してしまっている状態で、ひたすらアルバイトの作業に、集中します。

すると自分らしく生きられてはいませんが、ひたすら楽でした。

死にたいとも思わないし、ここは俺の居場所じゃないとも、時給安いのにこき使われてふざけんなとも思いませんでした。ただ時が流れました。

考え抜くことが良いこと、自分らしく生きることだと思っていましたが、ぼーっと生きる事にもやりたくない事を楽にやれるというメリットがあります。

ぼーっと生きるのと考えて生きるのと両方必要かもしれません。

子供欲しいかと聞かれて

ちっちゃい子を見るたびに思うのは、なんで産んだのだろう、という事です。

私は子供いませんが、子供は可愛いし、子育ても楽しそうだ。家族が増えるのはいい気分だろうなと思います。

しかし、辛い事を経験するかもしれない人間を新たに生み出すことに抵抗を感じないのでしょうか?

大体の人はそんな事考えずに勢い作ったから産んだという事なんでしょうが、考えてみると、人ひとり生み出す事はとても喜ばしいと同時に罪深いことでもあると思うのですけども。

 

私の父は性欲のせいで出来たといい、母は子供欲しかったから産んだと言いました。

恋愛して結婚して一番幸せな時期に子供ができたからか、2人とも私がどんな風に生きるかとかどんな事を思うかとかは考えていなかったようです。

今のところ私はたまーに幸せなことはありますが、基本的には人生嫌なことばっかりだと感じています。

勉強も働くのも人と過ごすのも、人と過ごせないのも辛い。

これからもそんな感じでしょう。

自殺したくはないのですが、辛いです。

生まれる前に選べるなら生まれて来たくなかったと思います。

皆さんは違いますか?

辛い人生を送るかもしれない人間をこの世に生み出すことについて、考えてみて、それでも産みたい、作りたいという人はどうしてそう思うのでしょうか。