どこかで見たような、終わりであった。
ま、完璧さを備えた存在になるよりも、不完全な人生を生きる人間のほうが美しいんだってのはありがちなラストではあるのかな。
そして結局日常に帰るということだったので、つまりまぁ日々見ている僕の人生に帰れということだな、陳腐な感じがするのは当然かもしれない。
神の愛はなくとも、不確かで得られるかわからない愛、失う愛のある僕らの生きるこの普通の世界で、それでも人を信じて生きていくことへの讃歌であった。
しかし、まぁしんどいね。
なんつうか、現実の世界で粘膜も、友愛も交換できない俺とか俺たち旧世代のオタクにとっては地獄のような終わり方だったと思うよ。
現実の恋愛はイケメンに限るし、現実の親子関係ははっきし言って運だ。
黙ってりゃ友達ができる訳でもないし、気のいいおばちゃんたちと田植えするような心温まる職場なんて存在すんの?って感じだ。
シンジやゲンドウなんかははっきし言って恵まれてるよな。
アイツら待ってるだけで胸の大きいいい女しかも愛してくれる女が手に入ってるわけだ。
彼らが戦ったのは手に入れるためではなく、守るためだ。その点不幸なようで初めっから恵まれてんだ。
現実じゃそんなことはない。いや、あるのかもしれんが、俺の人生は違う。
そもそも愛を手に入れるところからして戦い、運だ。
人を愛する心を持つきっかけすら自分で獲得しなきゃいけないハメに陥っている。
人と交流してれば自然愛が交流されるなんてことはない。
女も職場も居場所も戦って、努力して手に入れるもんだし、勝てるかどうかもわからない。
しかも手に入れたと思ったら無くなる不確かさで、とても信じられる代物でもないし、誰かが勝手に好きになってくれて心を温めてくれるようなことってのは正味ない。
愛も居場所も己の行動と運で勝ち取りに行かねばならぬ不確かなものだ。
それでも、信じたくなるよな。
かきむしりたくなるような寂しさの中で誰かを求めざるを得ないのだから。
そのために人を好きだって自分から言う責任を引き受けていくってこと、自分が傷つくってことを引き受けていかなくてはならない。
まぁそんな感じのふつーの僕らの人生に帰れというメッセージなんだろうなって感じでした。
しかし残念なことに僕らの人生にはマリもレイもアスカもいなけりゃケンスケもトウジもカオルくんもいないんだな。これが。
ま、がんばって行きましょう。
大人なんでね。
それでもこの世界でどうにかこうにか愛の飢えを乾かしていく手段を僕らは身につけないとね…。