マッチングアプリの、というか恋愛ゲームの感想。

まず愛というものへの理解が足りていなかった。

 

愛には、親の愛や、無償の愛といったものに代表される、対象を限定しないもしくは対象がどんな状態であっても愛するといった全存在を肯定するタイプの神の愛、アガペーに近い愛と、

アイドルを好きになる、但しイケメンに限る、こいつとセックスしたい、といった時に感じるタイプの愛、欲望、対象を限定し、対象の状態も限定するエロス、性愛が別個のものとしてあったのだ。

 

恋愛市場で女に求められていたのはエロス、性的魅力であったし、俺が女を選別する基準も性的魅力だった。

そしてマッチングアプリにおいて、俺はネットにあふれるナンパ師のアドバイスにしたがい、性的魅力をアピールして女を釣りセックスをしたにもかかわらず、

俺はその後仲良くなった女にエロスではなくアガペーを与えようとし、また女にアガペーを与えてほしいと願った。

結果女は、俺に性的魅力を感じなくなり去っていった。

つまり、俺は別個の愛を混同しており、かつ俺が真に求めていたのはアガペーであったのにも関わらず、エロスで女を釣り、エロスを与えてはくれるが、アガペーのやり取りをできない女と付き合い、早々とふられてしまった。

アメリカのナンパ師を描いたザ・ゲームという本があるが、その中でもナンパ師たちはたくさんの女を手に入れセックスをするものの、結局宗教に傾倒したり、満たされずに精神的に追い詰められてしまうというシーンがあった。

きっとこういう事なのだろう。

読んだときにはわからなかったが彼らの満たされなさも実はアガペーの満たされなさであり、エロスの満たされなさではなかったのではないか。

だから宗教に傾倒したのでは…そんなことを感じた。

もちろんセックスは気持ちよかったし、人間にはエロスの飢えを満たすことも必要だと思う。

だがセックスをしている間俺は全存在を肯定されたのだと勘違いをした。

しかし、女にさられてのち俺が肯定されていたのは俺の性的魅力だけだったのだと気づいた。

俺のアガペーなど必要されてはいなかったし、俺の全存在を愛してくれてなどいなかったのだ。

俺がふられて初めて感じたのは全存在の否定であったが次第にセックスアピールを怠ったからふられただけだと気づいた。

俺はふられたことであまり傷つかなくなった。

ただ性的魅力がお前にはないと言われただけだったから。

しかし俺はどうしたらいいのだ?

セックスのやり方はわかった。

もっと洗練されたセックスアピールをすることで女とはこれからもセックス出来るだろう。

しかし俺は全存在を愛されたいのだ。

エロスを満たしたいだけではない。

あなたには性的魅力があるという受け入れられ方をされたいわけではない。

どうしたらいいのだ?