家族はいても家は無かった。

自由恋愛の結果として、家族を作るシステムの不安定さについて、実体験から思うところがありましたので記しておきます。

 

一人で暮らし始めてから、一人だと働けなくなったら詰むな、心が荒れても誰も気にしてもくれないな、という事の重圧を感じます。

 

家計を共有して、住処を共有する人がいる、というのは精神的にも、経済的にも、その他多くの面でも強力なセーフティネットだったんですね。

 

中国地方から関東へ進学した僕は今、学校へ通えなくなり、バイト生活をしています。

関東へ来てから恋人が出来る兆しもなく、友人とも家族ほど強固な関係は築けなかった。

また関東では家賃が高く、退学し、高卒でも雇われるような仕事では生きるのでもギリギリのラインになるかもしれず、今後も一人で都会での生活を続けて行くことに無理があると思った僕は退学し、ちっとはまともな職に就こうとするのを機に家に帰ろうと思いました。

 

僕の親は小学校の時に離婚しておりますので、母はシングルマザーで、賃貸に住んでいます。

すでに僕が高校時代まで住んでいた家からは違う県の違うアパートへ引っ越しており、僕が家へ帰りたい、といってもそれは実質、母のところに帰って母とまた住みたい、といったものでした。

 

それで、家、のことで家族と揉めました。

というより、僕だけ違う認識で家族を捉えていたので突っかかっただけだったのですけれども、僕は家を永続的に近い、変わらないもの、として見ていましたが、母は一緒に住んでもいいけれどいずれは再婚するかもしれない、といい、弟はもう僕や母とは別の家で住みたい、とのことでした。

 

僕は大学に行くときに家を出てしまいましたが、なんとなく、帰るところはある、と思っていました。

しかし今もし帰っても、母が再婚すればそこにあるのは他人の家となるし、そして弟とはおそらく二度と一緒に暮らすことは出来ないのだ、とかんじました。

 

今は外に出ているだけで帰れば変わらない家がある、とどこかでかんじていたので、衝撃でした、僕の思い描いていた母と弟のいる家は変わらないものではなく、既にこの世になかったので…。

 

離婚が簡単になり、家を守る、継ぐ、という観念が消失した現在、変わらない家はないのだな。とその時感じました。