働くのが嫌だということについて

他に抜け道があるのなら教えて欲しいが、現状の日本で、裕福でない家庭に生まれたのならば生きていくために働かなければならないように思える。


小学生のころから何につけても強制されるのは嫌で、二十歳を超えても変わらずあらゆる強制が嫌で、それゆえに働きたくないという気持ちはあったし、さらに十年近くたった今でもそれはあるが、少なくとも激情ではなくなったし、諦念というか、愚痴をいいながらも、もしくは愚痴を我慢しながらも働く、という行動に落ち着いた。

今は嫌なことを最小にして楽しいことや良いことを最大にするという目的に従って動いている。と言い切れるほど普段は明確ではないが、俺は無意識のうちにそのような行動原理で動いているだろう。

いや、もともとそういう行動原理に沿って動いた結果として、働かないことよりも愚痴を言いながら最低限働くことを選ぶことになったのだろう。

 


さて、結局は人間は行動に意味を求める物であり、生きている意味があるか、などと考える時、人は得てして不幸を感じていることから、意味とは幸福のことであり、つまり人は行動の動機として幸福を必要とすることがわかる。

働きたくないのは働いた結果として幸福が得られないからではないか?

それならば、働いた結果として幸福が得られるような環境を作るように努力してみれば良いのだ。

こんなことを今後しばらくの方針としてみようと思う。

 

しかしゴーリキーが言ったように働くことが嫌いなら人生は地獄なのだ。

 

今はまだ地獄だ。