教室は癒しを与える場所ではない。

 仲正昌樹という大学教授の書いた、学問の取り扱い説明書という本を読んでいます。

 学問的な流行の話題について大学教授が学生を相手に話してゆく内容の本です。

 少し前の本なので、もしドラとか、超訳ニーチェとか廃れた流行が話題になっています。

 まだはじめしか読んでません。

 そのはじめにサンデルの白熱教室が話題になるのですが、そのなかでこんなくだりがあります。

「学生

 でも、NHKで放送された講義の後のサンデル先生との座談会で、東大のさる偉い先生もおっしゃっていましたが、授業中、手を挙げるなんて結構勇気要りますよ。

 教授

 勇気を先生からもらうんですか?まるで、カウンセリングとか癒しですね。癒しの教室なんて意外といいかもしれない(笑)。最近は、大学生での勉強に出だしでつまずいたり、人間関係で悩んだりして、やる気がなくなっている子向きのリメディアル(治療)教育とか流行っているからいいかもしれない(笑)。みんなで仲良く教室でおしゃべりして、癒されたいの?キモイなあ。」

 以上、引用でした。わかりやすくするために学生、教授という話し手の表記は私が付け加えました。

 教授の口が悪いですが、内容としては、教室は学問的な話のなされる場所で、個人的な感情をどうこうする場所ではないですよ、という、文脈だと思います。

 まぁ、当然といえば当然ですね。

 しかし、数年前の私はここがわかっていなかった。

 カウンセリングでもリメディアル教育でもなく、まさしく教室に癒しを求めにいっていた。

 そのため大変に恥ずかしい思いをし、また人に迷惑をかけました。その話をしようと思います。

 

 私は大学入学時ごろから生来の悩み症が爆発しておりました。

 どうやって生きていったらいいのか、人生に答えはあるのか、いや限られた分野だけでもいい、確かなことが知りたい、どうやってものを考えていいのかすらわからない。

 という状態です。

 大学では文系に進学しました。

 希望を抱いていました、学問が私の道しるべになってくれるのではないか、何か人生を満たしてくれるものが見つかるのではないか、と。

 しかしまぁ、大学生活はそんな理想郷ではありませんでした。

 私は悩みました。

 かような悩みがあったせいか、体調が悪かったせいか、大学には通えなくなりつつありました。

 友達は少なくなってゆき、家族とは話があわなくなってゆき、私は癒されたくて癒されたくてたまりませんでした。

 そんな中でしたが、おり悪く、ゼミがはじまっており、教授と話のできる機会が結構ありました。

 私はほぼ引きこもりで、話し相手がおらず、人と話したいという欲求が爆発していました。

 教授に惹かれて入ったゼミでしたので、教授への憧れがありました。

 また学問が私に考える足場を与えてくれる、救ってくれるのではないかという希望をまだもっておりました。

 そして私の救われたい欲求からたくさん話しました。

 しかしそこは学問の場です。当然ながら話は噛み合わず、私は救われず、頭がおかしくなっており勉強どころではありませんでしたので、結局勉強はわからないまま。

 わからない劣等感から余計に頭をおかしくして、教授に迷惑をかけ、ゼミを辞めました。

 

 つまるところ、先生は癒してくれる人物ではない、教室は悩みを解決する場所でもなければ、人生を救ってくれる場所でもない。

 みんな勉強しに来ているのです。

 先生は金をもらって学問を探求している、学生には学問の先達として教える立場にあるただの職業人なのです。

 履き違えた私は恥をかきました。

 

 数年経ったいまでも私は感情と行動や、話の内容の切り離し方がいまいちわかりません。話すか、黙るかしかできません。

 きっとこれから、ビジネスや学問の場に居合わせることがあっても私は感情むき出しでしか、話すことができないでしょう。

 ですが、少なくとも、相手は私の感情に付き合う気は微塵もないだろう、ここはそのような場所ではないのだろう、という想定はできるようになりました。

 少し進歩したかなと思います。

とりあえずこの話は以上です。

 

 自分の悩みや人生についてですが、答えは結局自分で考えるしかないかなと思うようになり、人や、学問に答えを求めたりする事はなくなってきました。

終わりです。さようなら。