悩むことと自己否定とは違うことですね。って気づきました。

 私は、あ、私って言ってますが、男ですよ。

 それで私、最近アトピーが酷いのです。

 首とかものすごい痒いんですよ。

 それで睡眠時間増やしたり、食べ物に気を使ったりしているのですが、あまり変わりませんで、やはりストレスが原因かなぁと思うようになりました。

 ですが、ほとんど引きこもってますし、誰か他人とのトラブルがある訳ではないので、ストレスといっても私の頭の中が震源地だと思うんです。

 痒くなって来た時期とか、痒くなる時間と照らし合わせて、なんとなく当たりをつけているのですが、痒い時って現在の自分の状態を肯定出来てない時のような気がするんですよね。

 それでどうしたらいいかなと思ったのです。

 私は悩むことが結構好きでして、悩んでいること自体がアイデンティティのような人間だと思っているんです。

 もしかしたらお前頭おかしいんじゃないか?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。けど好きなんです。

 ですので、もし悩むのが原因で痒くなってるのだとしたら悲しいなぁと思うのです。

 それで、悩むのやめないといけないのかなぁ、いけないんだろうなぁ、と思っていたのですが気づいたんです。

 悩むことと自己の否定、肯定は別のことなんだと。

 

 そもそも、なんですが、悩みって現在の行動に全く疑念がなくて、他のことは考えなくて良い時、つまり没頭とか集中している状態の時なんですが、その時には消えているように思うのです。

 だとすると悩みは行動の否定をしている、控え目にいっても行動とは違うことを考えてるってことですよね?

 ここが自己否定と紛らわしい部分だと思うのです。

 少なくとも悩んでいる時は、今の行動に自分の全てをかけて集中するべきだと思ってない。

 それどころか今の自分の状態を否定してさえいます。

 なので、悩んでいることを自己否定と同じように思うのではないでしょうか。

 ですが、やはり自己否定と悩みとは違います。

 悩んでいて、今の状態を肯定していない事が、即座に自己否定になるわけではないです。

 例えば、今のままだと幸せではないな、幸せになるためにはどうしたらいいかな、という悩みがあったとして、悩んでいる時自分の今の状態を疑っていますね。

 これって今の自己の否定ですよね。

 けれど今の自分の状態のみを自己と捉えるのではなくて、自己をストーリーとして、時間の流れの中、変化の中を生きていく存在だとすると、今の状態の否定が自己の否定にはなりません。

 わかりやすい例だと、スポーツやっていて、このままだと負ける…!作戦を変えよう!というとき。

 このままだと負ける作戦を取っている今の自分は否定していますが、だからといってこれは自己否定ではありませんね。

 プレーヤーとしての自分は戦いの中で、変化していく存在であって、一瞬一瞬を変わるためにこうじゃないとその時の自分を否定したからといって、自己の存在を否定しているわけではないです。

 かなりこんぐらがってきた感じしますね。わかってもらえましたか?

 

 悩んでいない時は、その時出来ている行動に集中出来ているけれども、行動と違うことは頭にない。

 逆に悩んでいる時は、今と違う状態を思って、その時の行動が散漫になっている。

 悩むことは現在の行動を続けるには必要ないみたいです。

 ならば、悩むって現在の行動とは違う行動をとるために、つまり変化のためにあるのではないでしょうか。

 

私が、あなたが悩んでいても、悩んでいる自分の否定にはならないんです。

 それは今の状態からの飛躍とか、変化への志向なんです。

 というエールにしたいのですが、こじつけがましいでしょうか。