子供欲しいかと聞かれて

ちっちゃい子を見るたびに思うのは、なんで産んだのだろう、という事です。

私は子供いませんが、子供は可愛いし、子育ても楽しそうだ。家族が増えるのはいい気分だろうなと思います。

しかし、辛い事を経験するかもしれない人間を新たに生み出すことに抵抗を感じないのでしょうか?

大体の人はそんな事考えずに勢い作ったから産んだという事なんでしょうが、考えてみると、人ひとり生み出す事はとても喜ばしいと同時に罪深いことでもあると思うのですけども。

 

私の父は性欲のせいで出来たといい、母は子供欲しかったから産んだと言いました。

恋愛して結婚して一番幸せな時期に子供ができたからか、2人とも私がどんな風に生きるかとかどんな事を思うかとかは考えていなかったようです。

今のところ私はたまーに幸せなことはありますが、基本的には人生嫌なことばっかりだと感じています。

勉強も働くのも人と過ごすのも、人と過ごせないのも辛い。

これからもそんな感じでしょう。

自殺したくはないのですが、辛いです。

生まれる前に選べるなら生まれて来たくなかったと思います。

皆さんは違いますか?

辛い人生を送るかもしれない人間をこの世に生み出すことについて、考えてみて、それでも産みたい、作りたいという人はどうしてそう思うのでしょうか。

ゴミみたいな意見。

本当にどうでも良い話題なのですが、ずーっと頭から離れないので書き捨てておきます。

女性の破廉恥な格好やめろ、やめないならガン見するのも、痴漢するのも悪くないことにしろ、という話です。

あんなに視線を引きつける足とか胸とかを晒しておいて痴漢は犯罪とか言うのはおかしいでしょう?

札束を裸で持ち歩いておいて盗んだ奴が悪いって言うようなものじゃないですか?

まぁ盗んだ奴が悪いのは悪いんですが、札束裸で持ち歩いておけば盗まれて当然ですよね?

女性はわかってないかもしれませんが、足とか胸は札束と同じくらいには欲望をかきたてますよ。

札束見せびらかされれば貴方が盗まれないにしても、貧乏人のわたしは不愉快です。

同じように、女性の裸に飢えているわたしには、露出の多い服は正直いって不愉快です。

札束を財布にしまってさらにカバンにしまうように、肌も大事にしまっておくべきだと、私は思いますが。

死にたさを超えたものの

長い間特に理由なく死にたいと思っていました。

最近心に余裕が生まれて、どうせ死にきれないし、死ねないなら人生を楽しもうと思うようになりました。

しかし、何が楽しいのかわかりません。

単純に楽しくないから死にたかったのだと気づきました。

現実逃避はもうしたいだけしました。

アニメもゲームもタバコも酒も嫌いになりました。

逃げられない。現実はつらい。

教室は癒しを与える場所ではない。

 仲正昌樹という大学教授の書いた、学問の取り扱い説明書という本を読んでいます。

 学問的な流行の話題について大学教授が学生を相手に話してゆく内容の本です。

 少し前の本なので、もしドラとか、超訳ニーチェとか廃れた流行が話題になっています。

 まだはじめしか読んでません。

 そのはじめにサンデルの白熱教室が話題になるのですが、そのなかでこんなくだりがあります。

「学生

 でも、NHKで放送された講義の後のサンデル先生との座談会で、東大のさる偉い先生もおっしゃっていましたが、授業中、手を挙げるなんて結構勇気要りますよ。

 教授

 勇気を先生からもらうんですか?まるで、カウンセリングとか癒しですね。癒しの教室なんて意外といいかもしれない(笑)。最近は、大学生での勉強に出だしでつまずいたり、人間関係で悩んだりして、やる気がなくなっている子向きのリメディアル(治療)教育とか流行っているからいいかもしれない(笑)。みんなで仲良く教室でおしゃべりして、癒されたいの?キモイなあ。」

 以上、引用でした。わかりやすくするために学生、教授という話し手の表記は私が付け加えました。

 教授の口が悪いですが、内容としては、教室は学問的な話のなされる場所で、個人的な感情をどうこうする場所ではないですよ、という、文脈だと思います。

 まぁ、当然といえば当然ですね。

 しかし、数年前の私はここがわかっていなかった。

 カウンセリングでもリメディアル教育でもなく、まさしく教室に癒しを求めにいっていた。

 そのため大変に恥ずかしい思いをし、また人に迷惑をかけました。その話をしようと思います。

 

 私は大学入学時ごろから生来の悩み症が爆発しておりました。

 どうやって生きていったらいいのか、人生に答えはあるのか、いや限られた分野だけでもいい、確かなことが知りたい、どうやってものを考えていいのかすらわからない。

 という状態です。

 大学では文系に進学しました。

 希望を抱いていました、学問が私の道しるべになってくれるのではないか、何か人生を満たしてくれるものが見つかるのではないか、と。

 しかしまぁ、大学生活はそんな理想郷ではありませんでした。

 私は悩みました。

 かような悩みがあったせいか、体調が悪かったせいか、大学には通えなくなりつつありました。

 友達は少なくなってゆき、家族とは話があわなくなってゆき、私は癒されたくて癒されたくてたまりませんでした。

 そんな中でしたが、おり悪く、ゼミがはじまっており、教授と話のできる機会が結構ありました。

 私はほぼ引きこもりで、話し相手がおらず、人と話したいという欲求が爆発していました。

 教授に惹かれて入ったゼミでしたので、教授への憧れがありました。

 また学問が私に考える足場を与えてくれる、救ってくれるのではないかという希望をまだもっておりました。

 そして私の救われたい欲求からたくさん話しました。

 しかしそこは学問の場です。当然ながら話は噛み合わず、私は救われず、頭がおかしくなっており勉強どころではありませんでしたので、結局勉強はわからないまま。

 わからない劣等感から余計に頭をおかしくして、教授に迷惑をかけ、ゼミを辞めました。

 

 つまるところ、先生は癒してくれる人物ではない、教室は悩みを解決する場所でもなければ、人生を救ってくれる場所でもない。

 みんな勉強しに来ているのです。

 先生は金をもらって学問を探求している、学生には学問の先達として教える立場にあるただの職業人なのです。

 履き違えた私は恥をかきました。

 

 数年経ったいまでも私は感情と行動や、話の内容の切り離し方がいまいちわかりません。話すか、黙るかしかできません。

 きっとこれから、ビジネスや学問の場に居合わせることがあっても私は感情むき出しでしか、話すことができないでしょう。

 ですが、少なくとも、相手は私の感情に付き合う気は微塵もないだろう、ここはそのような場所ではないのだろう、という想定はできるようになりました。

 少し進歩したかなと思います。

とりあえずこの話は以上です。

 

 自分の悩みや人生についてですが、答えは結局自分で考えるしかないかなと思うようになり、人や、学問に答えを求めたりする事はなくなってきました。

終わりです。さようなら。

クソ大学生日記

大学へ足が向かず、アルバイトへしか通えなくなってしまったクソ大学生から脱するために後期授業の始まった大学へ行った。

だが、このような状態の人間がいきなり全力で講義を受ければ途中で嫌気がさし、全く大学へ通えなくなってしまう事は前期で経験済みだ。

そこで今日は授業の行われている講義室で我が家のようにくつろぐことを実践した。

この行為は大学への根深い忌避感を減らすことで、大学へ継続的に通うことを目的とした、卒業への道の確かな一歩なのだ。

まず、講義室へ入室。

講義が始まるには時間がある。

来てはみたもののとにかく眠いので寝ていた。

気づくとそばにプリントが置いてあり、隣のガリガリの青年ありがとう、教師が喋っている。

しばらく真面目に話を聞こうとしたが、気分が悪くなって来たために断念。

スマホをいじった。

教師のモチベーションを削ぐ気はないので机の下でだ。思いやりだね。

現実でもネットでも友人の少ない私のスマホはもっぱらゲームにしか使われない。スマホのゲームはプレイ時間が課金アイテムで制限されているのがうっとおしい。金のない私がどハマりできない。

昔ハマったモンスターファームがやりたいのだが、プレステはもう無いし、プレステは授業中に机の下では出来ない。

スマホに移植してくれないかな。

またしばらく聞いていたが、この教師おんなじ事を何べんもいっているな。

話のテンポが悪すぎる。

かといってテンポが速すぎれば頭の悪い私にはわからないのだから本来ちょうど良いはずなのだが、無性にイライラする。

イライラは体にも心にも良くないよね。

本を読もう。

五味太郎と言う人の絵とエッセイの本。

大した話はないがとっても落ち着く語り口調の小気味良い文章。

俺も何か書きたくなった。

という事です。はてなありがとう😊

悪口

フリクリ オルタナのこと書いたんで、フリクリ プログレのこと書かないのもなんかなと思うんですよ。

だけど正直言うとあんまり面白く無かったので、書かない方がいいかとも思ったのですが、まぁ書きたいので書きます。

直前にフリクリを見て、かつフリクリプログレが、フリクリ オルタナと違ってわりと真っ当にフリクリを塗り直そうとしているのが見えただけに、前のフリクリを超えられてないなと感じてげんなりする部分が多かったように思います。

オルタナの時は前のフリクリ見ないで行きましたが、やはりプログレもより前作の要素が濃いとはいえ、前作を見ないで行った方が楽しめたかもしれません。

前のフリクリはあの頃のガイナックス作品を作ってきたアニメーターが、あの頃の気の抜けたかっこよさを身体で理解していたからこそ作れた作品であって、現代でやるからには現代のアニメーターが一番培ってきた表現で現代のかっこよさを体現したフリクリをやってみることでしか勝負出来る作品にならなかったろうと思うんです。

その点オルタナは前フリクリのセンスに基本的に及んでいないけれども、四人組女子高生の青春物語としてまぁ、固有の面白さがあったように思います。

プログレは、キャラクターや各話に盛り込まれた白黒の世界はかなり良くできていて、プロモーションでもとてもかっこよかったので、あの世界観を期待して見に行ったのですが、あの世界観は夢オチにしかなってませんで、基本線ではティーンの恋心に乗っけた意味の取れないおかしなシーンの連続、ぶっ飛んだアクション、謎の設定、おちょくっていくバイオレンスギャグ、等々前フリクリの土俵で戦おうとしてますが正直失敗していると思います。

作中でも言ってましたが、自分の武器で戦えってことですね、自分の武器でしか勝負にならないでしょう。

 

塗り直しの失敗としては、例えば、前フリクリで行われるコミュニケーションって言葉数少なく無言のうちにキャラ同士の関係性が見えてきていたと思うのですが、プログレでは言葉数の少なさは踏襲してますが気持ちははっきり言いますし、無言のコミュニケーションがないのでただただ薄く好きだ嫌いだが話されているようにしか感じられません。

また前作はメチャクチャなシーンの連続でも案外感情の流れはぶった切らず丁寧にかけているように思いましたが、今作は感情の流れもぶった切ってきてますね。

やっぱり押さえるべきところってもんはあるんじゃないでしょうか。

先ほども言いましたが、白黒の夢の世界観はとてもいいですし、主人公の女の子もめちゃかっわいい↑ですし、案外主人公の男の子もかっこいいですし、前作と違って声優も洗練されてますよ。

最近のアニメらしく声も含めてキャラクターはものすごく魅力的です。

ですがそれだけで2時間強乗り切れはしないでしょう。

ピロウズのmvとしても肝心の作画や、戦闘シーンがイマイチ作り込めていないので曲に押し負けてますね。

全てでは無かったですが、かっこいい曲だけが空々しく響くシーンが多かったです。

断片的にオッと思うシーンがあっても全編見た感想として楽しくないのは一話ごとに監督が違うことも関係あるんでしょうかね。

 

基本的に映画の悪口言ってる奴はその映画の良さがわからない可哀想な奴だと思ってますし、この映画に関しては良さがよくわからなかったかわいそうな奴ですよ私は。ご勘弁ください。

何か面白い見方、見所があればご紹介くださいませ。

犯罪者との共通点

 先程テレビ大阪制作の番組で犯罪をして刑務所から出所した人を受け入れる社長の話がやっていました。

 番組に出てきた青年は、社長にはげまされ、まともになれる環境を作られても、何度も犯罪を繰り返し、やる気はあってももとの暮らしに戻ってしまい、自分のコントロールが出来ないようでした。

 私も今、辞めたいと思うことを辞められないことでとても追い詰められています。

 どうにか食べ過ぎることと、学校をサボることを辞めないと、私の身体と社会生活が成り立たないところまで来てしまいました。

 しかし、せっかく周りの人に環境を整えてもらっても、自分のコントロールが出来ないので、それに応えることが出来ません。

 私は犯罪はした事がありませんが、自分をコントロール出来ない点、コントロール出来ないせいで人の期待を裏切って、迷惑をかけている点、そのせいで将来にも暗い見通ししかない点は同じです。

 テレビに映っていた青年と、私に必要なのはどうすれば、自分の今までの生活とは違う方向へ自分の行動をコントロール出来るか、その技術だと思います。

 それを是非知りたいのです。

 もしそのような技術があるのなら、道を外れた全ての人に必要だと思います。

 その技術とはなんなんでしょうか?

 教えて下さい。

 一番必要なその知識を今まで誰も教えてくれませんでした。

 私は今まで読まなかった自己啓発本を読み始めています。

 そこに答えがあるのでしょうか。

 あって欲しいと思います。