親以外にも理解してくれる人はいるかもしれないと気付く。
また少し、マザコンじみた気持ち悪い話になるかと思います。
ご容赦ください。
ひとり親だったせいか、同居していたころから、同居しなくなっても悩みのほぼ全てを母親に相談してきました。
母親の回答のほとんどが、シングルマザーである苦境に鍛えられてきたのか、やると決めたらやれる、私はそうしてきた。
という、マッチョなもので、やると決めても失敗する私には参考にならない場合がほとんどでした。
それに私はそもそも悩みの解決策ではなく、母親の共感や理解を求めていたのです。
しかし母親は参考にならない解決策を提示するばかり、私はそれがわかっていながらなお、共感や理解をもとめるので、必ずと言っていいほどケンカになりました。
我ながら気持ち悪い事をしていましたが、今振り返ると、母親がいうように解決策は当事者である自分で見つける方が効率的ですし、結局自分で解決するしかないことがほとんどです。
また共感や理解は人それぞれ経験に違いがあるので、悩みの種類によって、理解できる人、出来ない人がいます。
母親は私の悩みの多くを理解出来ない人間でした。
これに気づいていながら、ずっと認めることが出来ませんでした。
認めてしまえば、唯一の相談相手から理解されず、この世で一人っきり悩みを抱えることになってしまうと、無意識に思っていたからでしょう。
母親しか理解してくれる可能性のある人がいないという思い込みから、上手くいく見込みのない相談を続け、母親の無理解をなじり、無益なケンカを繰り返していた私にこう言ってあげたい。
お前は一人きりで悩みを抱えても、悩み抜き、解決できるほど強い人間だし、この世にはものすごく沢山の人がいて、お前と同じことを悩み、理解し合える人もいるんだ。心配しなくていいよ。
…カッコつけてみました。
フリクリとフリクリ オルタナ
前作フリクリを見返した上でネットサーフィンして感想を漁りました。
その上でオルタナと比較してみようと思います。
自分の初期の感想からどんどん離れていって私が書く意味はなくなって来ましたが…。
他人の記事を貼っつけるマナーがわからんのでその辺ご容赦下さい。
ま、あんまりみてる人いないから大丈夫かな。
引用1
無事の記 様
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/touch/20060613/p2
だいぶ古い記事だけど、文章がキレキレです。
性欲を軸にバッサリとフリクリを切ってます。ちょー切れ味いいです。
ナオタのムラムラとそれを利用するまみみとハル子の関係が物語を進めていく論ですね。
ナオタなんで利用されてんの?と思ってましたが、私はナオタの、男の性欲の暴力性に無自覚でしたし、これだけわかりやすく描かれていたのにナオタの行動の動機がはっきりとわかってなかったわけなので…。
まぁそれというのも私がまみみにもハル子にも全然ムラムラしなかったからかもしれませんが…。
ニナモリにはムラムラします。
そんなことはどーでもいいんですが、この性欲という観点からオルタナを考えると、ハル子には相変わらず色気によるコミュニケーション手段が最大の武器であり、女子高生とハル子とは周囲の男を通じてしかまともに接点をもてないのが浮き彫りですね。
オルタナのハル子がイマイチ周縁的な役割しかもてていないのもこれが理由でしょうね。
次に
http://samepa.hatenablog.com/entry/2018/09/08/212456
シン 冷めたパスタとぬるいコーラさん。
名前も記事も長いね。
私はフリクリファンでもないし、あんまり作品そのもの以外には興味ないので、オッと思った点だけ抜きます。
まず、榎戸さんのあとがきとからめてでてくる大人が自由の象徴であるという観点。
前フリクリの大人/子供のイメージを簡単にまとめると
子供は町や、親や、学校なんかの他者に縛られているが、大人はハル子ならアトムスク、キモ親父のカモンならミニコミ誌のように好き勝手なものを追求出来る。
という対比になっているかなってこと。
オルタナ、では大人になることは仕事と結び付けられていて、けして自由へと繋がっていない。
むしろ子供でいることが、愛する人のいる町や自由や友情と繋がって、肯定的に捉えられていますね。
そこで二点目、この大人/子ども観に関連して、
すごいことなんてない、当たり前のことしか起こらない、変わらないような毎日が続くけれど、その間にも季節は変わって行く。という、趣旨のセリフの捉え方が違ってくること。
もうすでに引用どうでもよくて私の邪推たっぷりなんですが、前フリクリでは子供に属する主人公のナオタに対して、憧れの対象、自由の象徴としてのハル子が大人に属しているためにこのセリフは、日常の先に、ハル子のいる、自由な大人の世界が待っている事を示しているので、ラストシーンでは爽やかな未来を匂わせます。
しかし、オルタナでは子供の世界こそが、自由であり、愛や友情をもたらすものである上に、ハル子も含めかっこいい大人像は誰も示していないので、このセリフは今わたしたちが一緒にいる、この当たり前の素晴らしい日々もいつか終わって、お別れなんだね。という意味になってます。
ですからラストシーンのこのセリフからは未来を否定する気持ち悪さを感じますね。
この気持ち悪さが好物ならいいもの見たなぁって思えるでしょう。
あとはテンポとか絵とか画面の作りとか戦闘シーンとか全然違うし、ふざけまくってる分そこは前作フリクリのが楽しいんですが、どこがどう違うと上手く言えないので、言える人、もしくは言えてる記事とか、あとなんか感想や、お前間違ってんぞとかあれば、教えて下さいな。
以上です。バイバイ。
フリクリ みた 2
三話
ニナモリ回。
伊達よ。
イカすなぁ。
あんまり考えることなくなって来た。
単純に面白い。
ストーリーとかよくわかんなくてもその場その場の勢い、画面、テンポ、セリフだけで十二分に面白い。
前はわかんなかったな。
というか、話の脈絡とかストーリーとか気に楽しみ方する作品じゃないんだな。
ギャグとかアクションとかと同じ楽しみ方してるかな。今んとこ。
こっちのフリクリと同じ見方してると"オルタナ"がつまんないって評価も大いに頷けるな。
シーンシーンの面白さはケタ違い。
まぁストーリー的にキャラが次第に好きになるとか、切なさとかそんなんはこっちにはないけど。
四話
野球回。
関係ないけどサムライチャンプルーの野球回も面白かったことを思い出した。
この回も印象深いがやはりよくわからん。
ナオタが男になって街を出て行くってことなんかしら?
バット振って出たった男に捨てられちまったまみみとしては寂しいのかね。
一応ナオタの成長物語になっているのかな。
五話
相変わらずアクションがイイ。
本質的に誰からも見向きされていないナオタ。
そもそも町から出たかったんだな。
いや。出たいけど、出れないってことも書いてんのかな。
六話
女どもの気持ち悪さ全開。
こんなのにしか甘えられないナオタを見てて辛い。が、本人はそれでいいんだね。
終わった。
んーただただしっちゃかめっちゃかしてるだけの印象だったけど、思ったよりストーリーが出来てたな。
ネットサーフィンして感想漁ってたらよく出来た批評が見つかったので別でまとめてオルタナと比較してみますよ。
とりあえず、バイバイ。
フリクリ みた
私は前作の内容を踏まえずに書き散らかしましたが、次作の感想を述べるのにやはり前作見ないと片手落ちの感がありましたよね。当然。
ですから前作フリクリ見ましたよってに感想述べます。というか、見ながら書くよ。
引っ越してからツタヤが遠いので動画配信サービスに頼ろうと思ったが、非定額は最近流行りでないのかどのサービスを利用していいのかわかりずらい。
結局エロ動画でお世話になっているdmmでレンタル。ファンザってなんだよ。
まず、一話。
2000年代初頭の作品ということで、作画の線がはっきりしてて色合いも薄めなので今からするとアニメの絵、というより全編イラストという感じしますね。
六話になると色も濃くなってきてアニメの絵って感じしてきますので、全編通して色合いを意識しているというわけでもないのかな。
ピロウズの曲もリバーブボワボワですし、テンポもギャグも90年代のノリを感じますね。
ハル子も漫画っぽい線で描かれていて性格としては男から見てちょっと神秘的?な1990年代終わりから2000年代初頭のキャラの代表のような造形してますね。
つか、ブーム作った人が作ったキャラだから当然か。
ネットで"オルタナ"の感想を見るとハル子の感じが違うじゃんという話をしてる人がちょいちょいいましたが、作画もキャラの性格もこの年代特有のバックボーンをひしひしと感じるので今蘇らせてもハル子の感じが再現できないのは当然っちゃ当然かなって気もしますね。
あまり意識してませんでしたが"オルタナ"の方もハル子だけあからさまにキャラデザ違いますね。
まーやっぱり"オルタナ"作ってる人もあの年代特有のキャラクターであって完璧に再現出来ないことは意識してたんでしょうか。
時代だけではなく、ハル子のぶっ飛び感もナオタが突っ込まれ役で年下の男の子をからかう女として振る舞えるから出てきてるんで、今風アニメの女子高生を相手役にした時点でいまいち本気出さなくても仕方なかったかもしれませんね。
…敵キャラがエヴァの造形なのは伝統だったみたいですね。
やっぱりおセンチなシーンもエヴァっぽいかな。やっぱりこのころのガイナックスの血が流れてるんでしょうか。
"オルタナ"を見るとやっぱりデジタル作画になって、京アニ系アニメが流行って、とか?まぁアニメの歴史は全く詳しくないのですが、やはり隔世の感がありますな。
二話
ハイブリッドレインボウ来た。思ったよりずっと早かったな!もうクライマックスかよ。
私のフリクリの印象ってこのシーンによって形作られているといっても過言ではない。皆さんもそうでしょう?
意味わかんないけど最高にさせられてしまう。つーかストーリー的にはなんの意味もないよね?
こんなシーンは"オルタナ"にはなかったし、こんな意味不明だけど最高のシーン普通の脳みそじゃ作れないよ。
メカ戦も半端ない格好良さである。最近アニメ見てないけどこんなん作れるやつ現存してんのかね?
やはりストーリー的には意味がわからない笑
いつのまにか心理的葛藤はぶっ飛んでいる。あんまりつながりを描く気がない。
こういうところ"オルタナ"とは設計思想が違うような気がしてならない。
ストーリーなんて糞J-POPほどにしか気にしてなくてアニメーションとして最高なものが作りたかったとしか思えない。
続きはまた明日。
フリクリ オルタナ 見てきた
最近私のアトピー性皮膚炎の原因が食べ過ぎだ、というとこが様々な試行錯誤、ネットサーフィン、読書、そしてセルフ人体実験の結果判明いたしました。
私は食べてもなかなか太らなかったのでダイエットとは無縁と考えておりましたが、食事の量に無頓着で、思っていたよりずっと大食しており、やはりアトピーという形で体に異常が出ていたのですね。
そこで、少食を心がけようと思っているのですが、食べまい食べまいとするほど食べてしまう、という行動を取ってしまい、今までそんなこと思ったことも無かったのですが、私の食に対する精神的な依存が意外にも根深いものであったことを悟り、少々戸惑っております。
そこで短期決戦で大食を治そうとしたのですが、世間でダイエットダイエットといつまでも騒がれているように食を細くするのはとても難しいですね。
私もこれを矯正するために多少どっしりと構えて、食欲と長期戦をする覚悟を決めておる次第です。
ところで、フリクリという20年弱前のアニメを知ってますか?
だいぶ前に見てほぼ覚えていない私の印象では
●ビジュアルはいい
曲はかっこいい
しかし意味わからんアニメ
なのですが、
そのアニメと同じ名前を冠したアニメが今劇場公開されているとピロウズファンより情報が流れてきたので、見てきました。
ということで、前振りとは全く関係のないフリクリ オルタナの感想です。
先ほども言いましたが、正直言いますと、前作はハイブリッドレインボウという曲とビジュアルがかっこいいだけの意味不明アニメだと思っていました。
メインキャラは全く無軌道に飛び回っているようで、ドカンドカンアニメの世界をぶっ壊しまくるので爽快ではありましたが、私の心に深く残るようなものはありませんでした。
私は意味のとりづらい前衛芸術?のようなものは嫌いでして、芸術なんてものはメロドラマ的で感情が揺さぶられなければ意味がないと考えているたちでありまして、その点前作のフリクリはまぁ気にはなるけど何回見てもよくわからないので頭が勝手にぽいしてしまうアニメでした。
しかし、今作フリクリ オルタナは心にブッ刺さっさるわかりやすいテーマがあるように見受けられたので質的に別物と言って良いでしょう。
印象をロックのジャンルに例えるなら、前作は何者も否定し、何者にも縛られないことで無限や自由へと進んでいこうとするパンク、グランジ、オルタナであり、むしろ今作フリクリ オルタナは過去や、愛や、友情なんかを価値基盤としている、ポップやフォーク、みたいな感じですかね。すみません、自分でも何言ってるかよくわからないです。
ま、とにかく何十年も前のアニメの内容を覚えている前作のフリクリファンは楽しめなかったと思いますが、頭スッカラカン状態で見に行った私は一晩たってもフリクリ オルタナが心に刺さったまま…。
まぁつまり面白かったよってことです。
上映開始時点では前作同様よくわかんねぇアニメであり、つまんねぇパロディや前作ファンへのサービスシーンが目立ち、糞食らえだと思っていたのですが、次第にエヴァじみたメロドラマが始まり、エヴァじみた心地よい消化不良のラストで終わります。って全部パロディじゃねぇか。
いや、しかしながら今作のテーマは時の流れにぶっ壊され、離れて行く距離や、クソみてぇな社会や、しだいに失われて行く絆に汚染され、過ぎ去って行く、青春、を繋ぎとめたい、という過去に執着しまくって生きている私としては何度見ても胸を締め付けられる最良のテーマなのです。
この点過去にも愛にも友情にも縛られず全てをぶっ飛ばして行くイメージの前作のオルタナティブにはなっていますね。
今作は例えるならゲンドウ視点のエヴァであり、 世知辛い現実や、止めようのない時の流れによって失われて行く絆を超現実的な力によって蘇らせようという試みを描き、それが、歪な形で実現するという、後味悪いけど、何故だか胸を掴んで離さない素晴らしい胸糞アニメなのです。
ま、纏めますと、フリクリ オルタナはポップな公式ビジュアルやキャッチフレーズの
走れ、出来るだけテキトーに
という表看板と真反対の言うなれば
止まれ、チョー本気だすから。
というストーリーでした。
破綻の見えている絆をつなぎとめる、というような、ぐちょぐちょしたストーリー、エヴァのメロドラマ的な部分が大好きでたまらないという人は是非とも見に行かれると良いと思います。
ま、今作は二部構成で10月ごろにフリクリ プログレ、が公開されるので、それを見ると印象全く変わるかもしれませんけどね。
とりあえず以上でした。バイバイ。
わかりあおうという気がない人が多すぎる。
わかりあおうとするのは大変に労力のいることですし、意見を戦わせれば感情がエスカレートし、揉め事になることもあるので、誰とでもとことんまで話すのが良いとは思いません。
しかし本当はとことんまで話し合うべき大切な人や親しい人とも意見が食い違ったらなあなあにしたり、怒ることで、相手の意見を聞いてみるもしくは自分の意見を言うことをやめてしまっていませんか?
相手と意見が食い違ったら話をストップさせる人が多すぎます。
他人とととことんまで話し合ってみると、意見が食い違った時になぜ意見が食い違うかということが、わかります。
結局理由は経験からくる信念だったり、頑固な思い込みだったりして、変えようのないことが食い違いの原因のことが多いですが、そこまでわからなければ相手の立場が理解して付き合っていくことが出来ないのではないですか?
9月10日追記
少し考えが変わりました。
わかりあおうとしても永久に分かり合えないとわかったとき、ずっと手を離さないために、ずっと喧嘩し続ける、ということでしか一緒にいられない人がいて、それも愛の一つの形だと思うようになりました。
店員の態度。
コンビニでアルバイトしています。
皆さんどこかの店であの店員はクソだな、と思ったことがあると思いますが、そんな時は店員も客をクソだと思ってることが多いです。
客もコンビニ店員と話などしたくもないのかイヤホンつけっぱなしの人が多いですが、店員も行きたくもないところでやりたくもないことをやらされるのに、最低賃金スレスレのクソ安い時給で拘束されているので、基本的にモチベーションが低い状態で接客しています。
どっちも決まり切った楽しみのない会話なんてしたくないんですね。
普段のコミュニケーションでは当たり前のことだと皆さん感じていると思いますが、自分の態度は相手の態度に引きずられます。
客と店員だからってそれは変わりません。